鳳来寺硯を求めて(1)

鳳鳴堂硯舗 いろは呼吸書法

鳳来寺山を訪ねたのは、表参道から歩いて1,425段を登って参拝したかったことと、もう一つ理由があった。
それは、鳳来寺硯を求めるためであった。

鳳来寺の硯の歴史は、鳳来寺山開山当時の約1,300年前から作られていたと伝えられている。江戸時代には、鳳来寺参詣者の参詣記念と実用を兼ねたお土産品であったという。今でも、鳳来寺山の表参道に2軒ある。

墨汁の普及で現代書道では、一般的に硯を重視しない。学校の授業でも習字教室でも墨を磨ることが少なくなった。いや、全く墨を磨らないとう話も聞くくらいだ。墨を磨る時間があったら、墨汁でたくさん漢字を書いたほうがいいと言われるくらいだ。いろは君も普段、古典の臨書、楷書などの漢字を書くにあたっては、墨汁を使い、その恩恵に預かっている。とにかく便利である。
しかし、「いろは・ひふみ呼吸書法」のかな文字を書くときは、必ず硯で墨を磨る。かな文字は、そんなに大量に墨を使わないから(笑)という理由もあるが、墨汁よりも柔らかく書けて心地が良く、墨色の変化を愉しむことができるからだ。

「いろは・ひふみ呼吸書法」を創始された山本光輝先生は、「硯は男のダイヤモンド」とおっしゃっている。確かに、昔の文人墨客は硯を愛用し、お気に入りの硯を求めて収集していたという。それだけ昔の人は硯に魅力を感じていたのだろう。

いろは君は、正直、硯にそれほどの興味を惹かれいなかった。硯によって、墨のおりぐあいが滑らかなどの違いは実感はするが、中国の端渓硯(たんけい)がいいとか、歙州硯(きゅうしゅう)がいいとかは、よくわからない。
しかし、硯の存在感の大きさは感じる。硯があることで、机が、書道具が引き締まる。石が語るかのような存在感が硯にはある。
そこで、鳳来寺硯を製硯されている「鳳鳴堂硯舗」を訪ねた。
(明日につづく)

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