霞ヶ浦『予科練平和記念館』(2)

コラム

館内に入ると、七つの展示室がある。

一つ目の「入隊」からはじまり、七つ目は「特攻」の展示室になっている。予科練生の制服が、世界の七大洋を表す「七つボタン」だったからだ。桜と錨の模様を打ち出した金ボタンには、海を越えて大空を駆け巡る大きな期待が込められていた。この「七つボタン」は、予科練志望者の憧れであった。

「予科練」は、旧海軍兵学校に次ぐ花形として、志願者も多かった。入隊すれば給与も出るので、貧しい農村からも志願者が多かった。全国の十四才半から十七才の少年が厳しい試験から選抜された。将来、日本海軍の航空兵になりえる人材として、頭脳明晰で運動神経抜群、そして精神力がある者しか合格できなかった。現代の若者なら、ほぼ全員不合格だ。不合格となった者は落胆したが、予科練を経た後、戦地に赴いた者の八割が戦死し、特攻隊として出撃したものも多い。不合格になった方が却ってよかったのではないか、と邪推してしまう。

起きてから寝るまで全てが訓練の集団生活で、肉体、精神ともに極限まで鍛えられ、航空兵として育っていく様子に驚いた。厳しい訓練生活の中でたまにある余暇の写真や家族に宛てた手紙から、十代半ばのあどけない様子も伺えた。濃密な訓練により、わずか三年余り(のちに短縮される)で、立派な航空兵になり、各地の海軍航空基地に飛び立っていくのである。
(つづく)

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