天心記念五浦美術館                      ~なぜ岡倉天心は茨城の五浦に移ったのか?~

感謝・感動・歓喜!

念願叶って、茨城の最北端、北茨城市・五浦にある「茨城県天心記念五浦美術館」に行った。

岡倉天心と五浦の画家を顕彰している美術館である。個人的には、総合美術館よりも、優れた芸術家を顕彰する個人名の入った美術館が好きだ。その方が、統一感があり、作品の世界観に浸ることができるからだ。たまたま訪れた十一月十三日は、茨城県民の日で無料拝観できた。静岡県民だけど(笑)

岡倉天心(一八六三―一九一三 本名:覚三)は、江戸末期に生まれた。急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代に、日本の伝統美術の優れた価値を認識した。美術運動家として、近代日本美術の発展にも大きく貢献した。その活動は、日本画の革新運動や古美術品の保存、日本美術院の創立、ボストン美術館中国・日本美術部長就任など多岐にわたる。

茶の本
東洋の理想
日本の覚醒

著書『The Book of Tea(茶の本)』、『The Ideas of the East(東洋の理想)』、『The Awakening of Japan(日本の覚醒)』などを通して、東洋や日本の美術・文化を欧米に積極的に紹介し、国際的な視野にたって活動した。

晩年は、茨城県北茨城市の五浦の地に理想郷を見出し、日本美術院を移転、横山大観、下村観山、菱田春草、木村武山を移り住まわせた。五浦で切磋琢磨した四人の画家は、後に日本美術史に残る名作を遺すこととなった。五浦には、天心邸や天心の墓などもあり、その当時の面影が色濃く残る。

美術館は、岡倉天心記念室と企画展の展示室に分かれている。今回の企画展は、画家の児玉希望展であった。天心記念室は、その生い立ちから晩年までの出来事をエピソード、写真、直筆日記、ゆかりの品々とともに展示されている。ボストン美術館勤務でアメリカ滞在が長かったが、いつも着物を過ごしていたという。

五浦の海
六角堂
「亜細亜ハ一なり」の石碑

美術館から歩いて十分ほどの天心邸は、当時の建物、庭園が残っている。長屋門をくぐると露地が続く。深山へ踏み込むような谷を下ると、天心邸があり、その先には一転して、海の絶景が広がる。海に面した岩場に、太平洋を望む六角堂があった。六角堂からの眺めは、日本画の風景そのものの絶景に感動した!

なぜ、東京とアメリカで活躍していた天心が、茨城県の最北端にあるど田舎の五浦に移ったか?疑問であった。しかし、この絶景を見て、なんとなくわかった。この地で、横山大観らと若い画家ともに感性を磨き、日本美術に没頭できる理想郷があったのだ!
感謝、感動、歓喜!!!

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