精神満腹 清水次郎長(その1)

コラム

静岡・清水に生まれた偉人といえば、清水次郎長が思い浮かぶ。

清水には、生まれた家「次郎長生家」、晩年に過ごした「末廣」が当時の建物を保存して残されていて、観光地になっている。

また、菩提寺で墓がある「梅陰禅寺」には、「次郎長遺物館」もある。

今年はコロナ禍で開催が中止となったが、「清水みなと祭り」のなかで行われる「次郎長道中」は見物だ。次郎長と子分二十八人衆に、山岡鐵舟、妻・お蝶に扮した役者が、端折り浴衣に股引き手甲脚絆の旅姿に、化粧とカツラをして、踊りや口上、寸劇をしながら市内を練り歩く。昔風情の祭りであるが、この伝統が素晴らしい。いや、今でこそ素晴らしいと思うが、昔はそうは思っていなかった。

梅陰禅寺
次郎長の墓

いろは君は二十代の頃、清水の企業で営業員をしていた。

担当地区は、清水の下町と清水港界隈で、「次郎長生家」がある「次郎長通り」も含まれていた。

しかし、当時は「次郎長」の話は、古臭い話だな、と冷めていた。しかし、思い起こせば、昭和風情のあった清水には、義理人情に厚く、飾らない人が多かった。

「強気を挫き、弱きを助ける」次郎長の任侠の精神が残っているようだった。

冷めていた私が「次郎長」に目覚めたのは、三年前に劇団・静岡県史に入り「静岡幕末伝」の演劇で、山岡鐵舟役を演じることになってからである。舞台では、次郎長役との掛け合いの場面が多かった。

役作りのために清水にある山岡鐵舟と次郎長の史跡を訪ね、その人となりを知ろうとした。

そして、鐵舟と次郎長の〝男らしさ〟に感動した。

心が通じ合っていた二人は、ともに腕と度胸があり、信念に従って行動した。鐵舟が、自身の信条を次郎長に贈った書、「精神満腹」のように生きた、お二人の人生に感動して、胸が熱くなった!

その後、役を演じるうちに、鐵舟と次郎長の大ファンになった!

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