言霊について(1)

「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」は、「いろはうた」や「ひふみ祝詞」の“言霊”を、声を出しながら筆で書く。

創始者の山本光輝先生(光輝書法会主宰)は、“言葉”でなく、“言霊”である、とおっしゃっている。

それでは、“言葉”と“言霊”はどう違うか?

『精選版 日本国語大辞典(小学館)』によると、言葉は、「音声や文字などにより表され、特定の意味を伝達する手段となる表現および表現の体系のこと。」とある。

そして、言霊は、「➀古代、ことばにやどると信じられた霊力。発せられたことばの内容どおりの状態を実現する力があると信じられていた。②予祝の霊力を持った神の託宣。」とある。

簡単にいえば、言葉は、伝達手段としての意味であり、言霊は、霊力を持ったもの、神託としての意味である。

私が、言霊をはじめて認識したのは、十年以上前に合氣道をはじめた時である。

道場の師範は、合氣道開祖・植芝盛平翁の教えとして、「合氣道は言霊の体現じゃ」とおっしゃっていた。開祖が残した合氣道・道歌に、「己が身にひそめる敵をエイと斬りヤアと物皆イエイと導け」がある。合氣道の稽古中は、「イエイ」や「ヤア」という言霊を発しながら稽古をすべし、と教わった。

その為、「イエイ」、「ヤア」と発声しながら稽古をしていた。合氣道の稽古が終わると、心身が浄化されて、スッキリした。

師範いわく、“言葉”は伝達手段であるから、意味を持っている。そのために、“言葉”を使うとき、マインド(思考)が働く。しかし、音である“言霊”は、マインド(思考)が働かない。

今は合氣道の稽古をしていない。そのかわりに、筆を持って書をしながら、「いろはうた」、「ひふみ祝詞」の〝言霊〟を発する「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」をしている。

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