言霊について(2)

私は、「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」で、‟言霊”による鍛錬をしている。

〝言霊〟は、以前は一般的には聞き慣れない言葉であった。今は言霊と名がつく本を何冊もみかける。「言霊は実現する」という言葉も聞き、「ことだま」と名がついたお店もある。

そこで、〝言霊〟について考えてみようと思った。

先日、神社で昇殿参拝をした。神殿に入ると、まず太鼓が鳴った。そして、巫女が鈴を鳴らしながら、浦安の舞をされた。それから、神主が祝詞を上げて、神様に私の名前を告げて、祈って頂いた。

この参拝で、あることに気づいた。

それは、声を発して祝詞をあげて、鈴や太鼓の音を鳴らすことで、神様に祈りを届ける行為をしていることだ。日本中どこでも、神社での神事・お祭りは、祝詞を奏上し、龍笛などの雅楽器で演奏し、鈴を鳴らして巫女が舞いを奉納する。秋には山車が出るお祭りもあるが、大きな掛け声をかけて、山車を挽く。そして、笛や太鼓を鳴らして、秋の収穫を祈り、神様に感謝を捧げる。

神社の神事・お祭りだけではない。お寺でも、葬式や一周忌などの法事で、和尚さんがお経を唱える。宗派によっては、太鼓などで音を出すこともある。

大仏や仏像などを作った場合、物体して作っただけでは、そこに仏様は宿っていないという。和尚さんが何人も集まり、お経を唱えて、開眼供養をする。そこで、はじめて仏様が宿る。

ということは、声を出すこと、音を出すことが、目に見えない存在と通じる手段であるとわかる。

これが日本だけでなく、世界共通であることに驚く。

キリスト教やイスラム教、その他の宗教も同じように、聖書や経典、讃美歌などを唱える。

また、原住民族も声を発して、楽器を奏でて、踊る。そして、聖なる存在、神様に、感謝し、祈りを捧げる。

太古から世界共通で、声を出す事、音を出す事が、目に見えない存在と通じる手段であるのだ!

これらの行為は、身を清めて行うものである。

祝詞や聖書等を唱えることは、神託の意味であり、言霊を唱えていると思う。それが祈りだと思う。

願望実現が言霊ではない、と私は思っている。むしろ、願望を捨てて、神への祈りを捧げることにあると思っている。

「いろは・ひふみ合氣呼吸書法」もその鍛錬のつもりで行じている。

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