大和ミュージーアム

感謝・感動・歓喜!

 「戦艦大和」ゆかりの奈良・大和神社を参拝し、その後に広島・呉に行った。呉は、「戦艦大和」が建造されたふるさとである。同艦に関する施設として、呉市海事歴史科学館「大和ミュージーアム」がある。

大和ミュージーアム
海軍を描いた作家展
戦艦陸奥41cm主砲身

 同ミュージーアムは、呉湾に面し、「戦艦大和」を建造したドック跡や瀬戸内海を一望できるロケーションにある。館内には、全長26.3mもある「戦艦大和」の十分の一模型が展示されている。三階まで吹き抜けになっており、いろんな角度から「戦艦大和」を眺めることができ、圧巻である。同艦建造の資料や辿った運命などの展示も充実している。その他、大型資料展示室には、零式艦上戦闘機(零戦)や人間魚雷「回天」などの実物資料が展示されている。東洋一の軍港といわれた呉の歴史資料や船をつくる技術や体験施設もある。まさにその名の通り、呉の海事に関する歴史と科学が融合された施設で、世界最強最大といわれた「戦艦大和」の名に劣らないミュージーアムだ。

戦艦大和の10分の1模型
零戦や回天の展示

 訪ねた時、企画展「海軍を描いた作家」が開催されていた。阿川弘之、吉田満、吉村昭の三人の作家が特集されていた。なかでも、吉田満は「戦艦大和」に乗艦、生還した作家だ。吉川英治の勧めにより、戦争体験記を記すつもりで『戦艦大和ノ最期』を書き上げた。以降、日本銀行に勤めながら、生き残った者の責務として「戦艦大和」や戦争についての小説やエッセイを執筆した。実体験者である同氏の小説によって、同艦の最期の様子が歴史に残った。阿川弘之は、海軍で戦争に従事した体験をきっかけに、『山本五十六』など数多くの作品を残した。吉村昭は、幼くして肺結核を患い病弱だった。その為、自身の戦地での体験はないが、軍隊経験者に忠実な取材を重ね、『戦艦武蔵』などの戦記小説を数多く残した。三人の作家の愛用品、原稿、取材ノートなどが数多く展示されていて見応えがある。そこには、戦争を後世に伝えようとした使命感を感じる。

戦艦大和が作られた呉のドック(1)
戦艦大和が作られた呉のドック(2)

まもなく、戦後七十七年の夏を迎える。軍隊経験者は齢九十を超えわずかに残るのみである。いずれ、軍隊経験者も戦争経験者もいなくなる。その時、この三人の軍記小説などが、後の世代にとって戦争を知る手がかりとなるだろう。生涯をかけ、戦争というものを後世に伝え遺した三人の作家に感動した。

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