敬天愛人 ~信念を貫き通した西郷隆盛~(その1)

コラム

鹿児島のシンボルは桜島である。市街とともに桜島が最も良く見える場所が、城山展望台だ。

西南戦争の最後の激戦地でもある。展望台の近くに、薩軍本営跡があり、少し歩くと西郷隆盛が最期の五日間に指揮を取っていた洞窟がある。また、腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯によって最後を遂げた終焉の地もある。城山周辺の史跡を歩いていると、西郷隆盛を偲ばずにはいられない。

幕末の人物で最も人気があるのは西郷隆盛であろう。先日亡くなった京セラ名誉会長で、日本を代表する経営者・稲盛和夫氏も敬愛していた。

西郷隆盛は漢詩、書を数多く残している。敬愛する人々は、雅号の南洲から〝南洲翁〟と呼んでいる。西南戦争で亡くなった西郷隆盛をはじめとする薩軍が眠る「南洲墓地」が市内にある。「南洲公園」として整備されており、「南洲神社」や「西郷南洲顕彰館」もある。

私も南洲翁を敬愛しているので訪ねた。

南洲翁の墓
南洲墓地
南洲神社と南洲墓地

「南洲公園」は小高い丘の上にあり、ここからも市街、桜島を望むことができる。墓地には、薩軍将兵二〇二三人が眠っている。墓石正面が西郷隆盛のもので、左手に桐野利秋、右手に篠原国幹、その他幹部たちの墓が並んでいる。墓地の隣に、「南洲神社」があり、西郷隆盛命として祀られている。

南洲神社
南洲神社由緒書き
南洲翁の漢詩

南洲翁のことを知るなら「西郷南洲顕彰館」に行くがよい。昭和52年(1977)、大西郷百年祭の記念事業として、南洲翁を敬慕する20数万人の浄財によって建立された。

館内は、ジオラマや映像が充実しており、南洲翁の生涯を詳細に知ることができる。

南洲翁は、革命的な明治維新をリーダーとして成し遂げた。そして、明治新政府になってから廃藩置県を実施し、地租改正や学制、徴兵制を整備するなど近代日本建設の中心となって活躍した。

明治6年(1873)、朝鮮への使節派遣論で、欧米視察から帰国した岩倉具視、大久保利通らと対立、明治政府の要職を辞職し鹿児島に下野した。その後、明治10年(1877)の西南戦争で亡くなった。波瀾に満ちた生涯だった。

南洲翁の信条が〝敬天愛人〟である。

「南洲翁遺訓」二十四条によると、「道は天地自然の物にして、人はこれを行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を持って人を愛する也。」とある。常に天を敬い、天に通じた道理を心掛けていた。そして、その道理で人を愛していたのだと思う。

(その2に続く)

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