『ちちぶ銘仙館』(2) ~驚き、裏表がない生地~

感謝・感動・歓喜!

昨日の続きで、「ちちぶ銘仙館」についてです。
「ちちぶ銘仙館」は、建物同様に内部も歴史を感じさせる。秩父銘仙の歴史や資料の展示、製造工程、昔の機械など充実した内容であった。

ほぐじ注染考案者の坂本宗太郎氏像
表も裏も同じ生地の秩父銘仙
昔の秩父銘仙織元案内看板

そもそも秩父の織物の歴史は、神話の時代、崇神天皇が国造として任命した知々夫彦命が秩父地域に養蚕と機織の技術を伝えたことに始まるという。
神話時代に遡るルーツに驚きです!

秩父は、近代はセメント原料の算出地として有名だった武甲山に象徴されるように石灰質の強い土壌であり、稲作には向かず、昔から山村農業と養蚕、絹糸で生計をたてていました。
特に、大正から昭和初期の戦前にかけて、銘仙(絹の平織物の総称)は、女性の普段着として、またお洒落着として全国的に流行した。
銘仙の主な産地は、関東五大産地といわれた秩父、足利、桐生、伊勢崎、八王子などがありましたが、今でも生産を継続しているのは、秩父のみです。

糸繰室
型彫室
たくさんある手織り機

秩父銘仙の特徴は、経糸(たていと)に型染をしてから緯糸(よこいと)を織る「ほぐし注染」という技法があげられる。これにより、経糸と緯糸の色の重なりで角度によって色が変わって見える玉虫効果がみられる。そして、生地になったものを染めるのでなく、染められた糸を織る「先染め」の着物のため、生地に裏表がない!
普通、着物は表地と裏地で色が違う。それは、おそらく生地になってから染めるからでしょう。生地になってからは、片面ずつしか染められない。
しかし、糸の繊維の状態で染めて、織れば表も裏も同じ生地になるというのです!
表が傷んだら、裏にして着ることができ、長持ちする!

この「先染め」の技法は、秩父の坂本宗太郎さんが考案し、「秩父銘仙」は全国に普及した。戦前の最盛期には、秩父市民の7割が織物関係の仕事に従事していたというから驚きだ!
はじめに経糸に型染めしてから織るという技術の確立には、かなりのご苦労があったことでしょう。しかし、その苦労が実り、銘仙といえば秩父となり、今でも生産が続いていることに感動!

「ちちぶ銘仙館」では、手織り、型染め、藍染め、ごくじ捺染などの体験ができます。
昭和レトロな建物で体験してみるのは良さそうです!

ちちぶ銘仙館
秩父銘仙の機械織りの体験・展示・販売、今昔をご紹介します

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