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敬天愛人 ~信念を貫いた西郷隆盛~(その2)

若い頃から、この〝敬天愛人〟の考えを持ち、正義感が強く、誠実なエピソードが多い。 少年時代に喧嘩の仲裁に入り、相手の刀が鞘から飛び出し南洲翁の右腕を斬ってしまった。この負傷で剣を握れなくなり、武術を断念し学問、筆硯で身を立てることを...
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敬天愛人 ~信念を貫き通した西郷隆盛~(その1)

鹿児島のシンボルは桜島である。市街とともに桜島が最も良く見える場所が、城山展望台だ。 西南戦争の最後の激戦地でもある。展望台の近くに、薩軍本営跡があり、少し歩くと西郷隆盛が最期の五日間に指揮を取っていた洞窟がある。また、腰と太ももに...
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川内ガラッパ(その2) ―出版界に革命をもたらした山本實彦―

もう一人、「川内ガラッパ」(センデガラッパ)といえる偉人がいる。 明治18年(1885)に川内で生まれた山本實彦だ。貧しい家庭に育ち苦学して上京、法政大学の夜間部を卒業し新聞記者になった。大正8年(1919)、28歳で「改造社」を創...
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川内ガラッパ(1) ―明治の煙草王・岩谷松平ー

薩摩川内市には、九州第二の河川である川内川がある。恵みの川であるとともに、昔は大雨により度々氾濫し洪水をもたらした。この川には、「川内ガラッパ」(センデガラッパ)という悪戯好きの河童の妖怪がいるという言い伝えがある。市内には「川内ガラッパ...
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長篠・設楽原の戦い(2) ~天を味方につける家康の処世術~

武田勝頼が長篠城を攻めあぐむなか、武田軍一万五千人をはるかに上回る織田・徳川連合軍三万八千人(織田三万人、徳川八千人)の援軍が来た。 武田の軍議で、信玄公から仕える老将より決戦を避けるよう進言があったが、勝頼は聞き入れず、決戦を決め...
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長篠・設楽原の戦い(1) ~鳥居強右衛門の勇気~

浜松の引佐から愛知の新城に抜ける国道257号線沿い、新城市長篠に衝撃的な看板がある。 「長篠の戦い」の文字と、ふんどし一丁で磔にされた男の絵が描かれている。この道を通る度に気になっていた。 そして、ついにこの看板の施設「長篠城...
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富士山頂気象観測に挑んだ野中夫妻

「富士 樹空の森」の「富士山天空シアター」には、富士山頂での気象観測の歴史も展示されている。そこで、初めて富士山頂で冬期気象観測をした野中到・千代子夫妻を知った。 野中到氏は、「富士山頂に気象観測所ができれば、天気予報は当たるように...
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精神満腹 清水次郎長(その2)

清水次郎長は波乱に満ちた人生を送った。 その生涯は「次郎長伝」として、戦前は講談や浪曲で人気を集めた。これほど刺激的で魅力に溢れた生涯はあまり見当たらない。また、大政、小政、森の石松などの子分二十八人衆、妻・お蝶などの周囲の人物も次...
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精神満腹 清水次郎長(その1)

静岡・清水に生まれた偉人といえば、清水次郎長が思い浮かぶ。 清水には、生まれた家「次郎長生家」、晩年に過ごした「末廣」が当時の建物を保存して残されていて、観光地になっている。 また、菩提寺で墓がある「梅陰禅寺」には、「次郎長遺...
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山本有三 たった一度しかない人生(3)

記念館には、「有三のことば集」が多数掲げてある。 「勇気を失うな 心に太陽を持て」 「人間はな人生という砥石でごしごしこすられなくちゃ光るようにはならないんだ」 「人生は死ぬことじゃない、生きることだ これからのものは、...
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