浜松城で出世を願う(3) ~元城東照宮~

コラム

「出世祈願」で浜松城を訪ねたからには、もう一つ行きたい場所があった。

家康公を祀る「元城東照宮」だ。この東照宮は、明治十九年(一八八六年)、旧幕臣の井上八郎(延陵)氏が創建したものだ。もともと、浜松城の前身、引間城本丸があった場所にある。元亀元年(一五七〇年)、家康公が今川に代わり遠州を治めたとき、最初に居城とした地である。拠点としては手狭な城であった。家康公は、西南の丘陵地に大規模な築城を行い、名も「浜松城」と改めた。だから、出世の街・浜松の出発点がこの地なのである。

元城東照宮
元城東照宮 曳馬城跡の碑

それだけではない。もう一人の天下人、豊臣秀吉公にもゆかりがあるのだ。農民出の秀吉公は、武家奉公をめざし、尾張の国を出て行商をしていた。天文二〇年(一五五一年)、今川家の家臣、飯尾家の居城であったこの地で、頭陀寺の松下氏に仕えるきっかけを掴んだといわれている。念願の武家奉公が叶った秀吉公は、懸命に働き、武士としての素養を学んだという。あまりに気が利き、城主には気に入られたが、周囲から妬まれた。そして、わずか三年で城主からお金を渡されて浜松を出されたという。その後、織田信長の家臣となり、天下人にまでなった。

なんと、太閤秀吉の武将への第一歩はこの地から始まったのだ!二人の天下人の出世のはじまりにゆかりのある同東照宮で、私も出世の第一歩をここに祈願した。

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