稲田石・石切山脈(その1) ~稲田石の歴史~

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茨城県笠間市稲田に、日本最大の採石場「稲田石 石切山脈」がある。

百年以上かけて採石し続けてできた岩壁が山脈のように続き、絶景として知られている。

稲田石は、通称〝白い貴婦人〟と呼ばれるほど、白い石肌が特徴の御影石である。石造物の気品と格調を高め、堅牢であることから、東京駅の丸の内広場の床石や国会議事堂、最高裁判所の他、神社仏閣等でも使われている。

笠間地方の地名に、岩間町や岩瀬町などがあるように、古くから岩石があることは知られていた。約六千万年前、マグマの貫入でできた花崗岩の岩山が、南北五km、東西十km、地下一・五kmもある。

石切山脈 入口

しかし、稲田石採石の歴史は浅く、江戸時代までは笠間城や近くの神社などで使われる程度であった。本格的に採石が始まったのは、明治二十二年頃からである。

JR水戸線開通に伴い、東京へ物資を輸送できるようになったことと、建築様式の洋風化が進み、大量の石材が必要となったからである。

東京から近い為、採石開発が進んだ。主だって開発を手掛けた鍋島彦七郎が、当時の石材産業の中心地であった瀬戸内海から職人を引き連れて、移住させた。そして、石の技術が定着し「石の町」となった。戦後は、日本を代表する数々の建築物に使われるようになった。

その稲田石の採掘場を見学できることを楽しみにしていた。

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