茨城県古河市は、関東地方のほぼ中央に位置し、〝関東のへそ〟と言われている。
埼玉県、栃木県と隣接し、群馬県にも近い。この付近を車で走行していると、どの県にいるのかわからなくなることがある。それくらい四県が入り組んでいる。
ここが関東の中心?と思うが、地図で見ると確かに、ど真ん中、〝へそ〟にある。
高速道路のアクセスが悪く、華やかでもない。しかし、それがかえってよい。
なぜなら、歴史と伝統が息づき、静かで風情ある街並みが残っているからだ。
造り酒蔵があり、旅館が何軒か残っている。この二つがある街は、開発されていても、自然が残り、風情がある街が多い。


古河市内には、渡良瀬川に架かる三国橋または新三国橋を渡って入ることが多い。
渡良瀬川沿いには、古河城趾があり、万葉歌碑がある。
「麻久良我の 許我の渡の韓楫の 音高しもな寝なへ児ゆゑに」(まくらがの古河の渡しを行く舟のからかじの音のように音高く噂がとどろきわたるよ 共寝もせぬあの娘とのことで)
古くから人が住み、川の渡しがあったことが伺える。
室町時代には、鎌倉にあった関東公方が、足利成氏の代に、古河に移り、古河公方として存在感を発揮していた。
江戸時代には古河藩となり、江戸と日光の中継地として、徳川家と深い関係がある譜代大名の城下町として栄えた。古河藩主からは、大老や老中、大阪城代などの要職に就いた大名も多い。
中でも、幕府老中職も務めた藩主土井利位は、二十年にわたり観察した雪の結晶の成果を、天保三年(一八三二年)に、『雪華図説』として刊行した。その後に刊行された『続雪華図説』と合わせ、日本最初の雪の自然科学書として高い評価を得ている。
また、古河藩家老からは、鷹見泉石という優れた蘭学者を輩出した。


風情ある古河の街並みを散策すると、篆刻美術館や古河街角美術館など文化施設が多く、今も好学の気風が根付いている。
派手ではないが、古い社寺仏閣があり、武家屋敷の風情も残っている。古河は、歴史と文化が息づいている街だ。
(つづく)
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