古代薩摩の都・薩摩川内

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鹿児島には天孫降臨にまつわる神社がいくつかある。

その一つが、薩摩川内市にある「薩摩国一の宮・新田神社」だ。同神社は、神亀山という亀の形をした小高い山の上にある。鳥居をくぐると、降来橋という明治25年(1892)に作られた石橋がある。

鳥居と降来橋
明治25年(1892)にかけ替えられた降来橋
参道の階段

その先、参道の322段の石段を登った先に本殿がある。今は車で近くまで行けるが、歩いて登れば、本殿に着く頃にはびっしり汗をかく。

同社の由来は、霧島の高千穂峯に天孫降臨された瓊瓊杵尊が、木花咲耶姫命をお妃とし、川内の地に着き、立派な千台を築いてお住まいになったことによる。その「千台」が「川内」になったと言われている。

瓊瓊杵尊がお亡くなりになり、同神社がある山にお墓が作られた。「可愛山陵」(えのみささぎ)とよばれ、瓊瓊杵尊の御陵として、現在は宮内庁が管理している。

可愛山稜
ご神木の大楠
新田神社の大楠の説明板

その瓊瓊杵尊をお祀りするようになったのが同神社のはじまりという古社である。「新田」は、瓊瓊杵尊が川内の地に川内川から水を引いて新しく田をおつくりになった意味と言われている。

その後、薩摩国の守り神様として朝廷から深い信仰を受けた。また、鎌倉時代に領主として着任した島津氏も歴代藩主が崇敬した。

薩摩川内は、「薩摩国一の宮・新田神社」があるように、古代、薩摩の中心地であった。

飛鳥時代の大宝2年(702)、この地に薩摩国府が置かれた。天平13年(741)には、聖武天皇の詔で、全国に国分寺が建てられた際、薩摩国分寺も建立された。

また、大伴家持は薩摩守として任官したと伝えられている。

「川内歴史資料館」や「薩摩国分寺跡史跡公園」で、古代の川内のことを知ることができる。

薩摩の中心地が南薩の鹿児島市に移るのは、鎌倉時代に島津氏が薩摩の守護職に就いてからである。現在は薩摩の都ではないが、川内の地は、古代からの歴史と文化が感じられる街だ。

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