古都・足利(その1) ~足利氏ゆかりの地~

感謝・感動・歓喜!

栃木県足利市は、‟東の京都”または‟北の鎌倉”といわれている。

群馬県との県境にあり、両毛地区の中心に位置する古都だ。奈良時代から御用織物を数多く献上していた記録があるなど、織物の産地として栄えてきた。

地名の由来は、八幡太郎源義家の孫、義康が足利氏(源姓)を名乗り、この地を治めたことに始まる。鎌倉時代に二代目義兼が居館を置いた。足利氏の拠点となり、ゆかりの寺社が多く残っている。

下野國一社八幡宮
八幡宮境内
足利尊氏像

特に「下野國一社八幡宮」は、八幡太郎源義家が京都の「男山八幡宮(石清水八幡宮)」を勧請した神社で、足利氏代々の氏神として信仰されている。境内には、「源姓足利氏発祥之碑」がある。

室町幕府を開いた征夷大将軍・足利尊氏は、義兼から数えて8代目にあたる。市のイメージキャラクターは、「たかうじ君」で、足利尊氏像もある。

そして、古都を感じさせる市中心部の石畳の町並みに「鑁阿寺」がある。建久7年(1196)、足利義兼が居館内に持仏堂を立て、守り本尊として大日如来を祀ったことに始まる。真言宗の古刹である。

鑁阿寺 山門
鑁阿寺 本堂
鑁阿寺 鐘楼

義兼没後、三代目義氏が堂塔伽藍を建立し、足利氏の氏寺として隆盛を極めた。土塁と濠をめぐらした寺域は、約4万㎡あり、「足利氏宅跡」として国の史跡に指定されている。

日本庭園
濠と土塁

現在は、「大日苑」とも言われ市民の憩いの場にもなっている。室町時代の楼門(山門)や鎌倉時代の国宝指定の大御堂(本堂)ほか、風格がある建造物が古を感じさせる。立派な石組みや日本庭園もあり見応えがある。また、桜や紅葉、大銀杏などの季節感ある木々が、より一層風情を感じさせている。

鎌倉時代の武家屋敷の面影を残す境内で、足利氏の由緒ある歴史を感じた!

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