墨のいろは ~墨のいろいろ~

私の書の師匠の山本光輝先生は、「墨は主身である」とおっしゃっている。また、「太陽光線のスペクトルを、色として混ぜ合わせると黒色となり、黒即ち墨は、太陽心(神)の総体である」ともおっしゃっている。即ち、墨で顕される書の軌跡は、太陽神でもあり、自分自身でもあるといえる。そう考えると、黒い墨は、壮大な世界を描くものになる。

その黒い墨にも色があり、青墨や赤墨と呼ばれるものがある。それは墨の粒子に違いがあるからだ。粒子が大きいと青墨になり、粒子が細かいと赤墨になる。青と赤で五百倍くらいの粒子の違いがある。光があたると、粒子の大きさの違いによって、見え方が変わるのだ。紫色の墨は、大きい粒子と小さい粒子の両方が混ざっている。松煙墨は青墨で有名であるが、それは松煙の粒子が大きいからだ。しかし、現代の青墨は藍の成分を入れている場合がある。

以前は墨といえば、固形墨しかなかった。幕末から明治時代の剣・禅・書の達人、山岡鐵舟は、膨大な量の書を揮毫したことで有名であるが、三人の弟子が一日中、墨を摺っていたという。しかし、現代は墨液という便利なものがある。固形墨を摺るのに時間がかかるので、活気的な発明だ。私も墨液を愛用している。ただ墨液には防腐剤や塩化カルシウムなどの化学成分が入っており、固形墨に比べて筆の毛が傷みやすい。また、書の線が硬くなりがちである。そのため、固形墨にこだわる人は、墨摺り機を持っている人もいる。私は漢字の練習は墨液で書き、かな文字と作品を書く時は、固形墨を使うことにしている。

固形墨は、古いものほど価値が高いという。それは、新しい墨は、まだ膠がきいていて粘りがあるからだ。古墨は、膠の成分が抜けてきて、さらっとしてくる。かなは古墨が向いているが、漢字は新しい墨が向いているともいわれる。ただ、古墨の定義はないが、五十年以上置いたものとかいうので、一般には店頭にはない。また、漢字用墨やかな用墨と用途に応じて販売もされている。固形墨の値段は、大きさにもよるが、千円程度から一万円以上までさまざまである。膠はほとんど同じなので、煤の値段によって変わる。高級な墨は、人の手で丁寧に摂った煤を使っているから高くなる。また書道具専門店では、日本の和墨と中国の唐墨がある。風土が違うので、和墨と唐墨にも違いがあるという。中国は硬水なので、一般的に膠の分量が多い。そのため、端渓硯のような細かい目の硯が合うという。膠の分量が多い中国の墨を、軟水の日本で摺ると、にじみやすくなる。

一口に墨といっても、このようにかなりの違いがある。これに、文房四宝の残り三つの筆、紙、硯と組み合わせて、書の線の軌跡が様々に変えることができる。

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