古代日本に大和と並び栄えた吉備王国があった。
その中心地は、現在の岡山市から総社市にかけてである。岡山市北部の吉備津神社がある〝吉備の中山〟から総社市にかけての吉備路には古代の古墳が数多くある。
古代、山陽道(西国街道)は、吉備路にあった。
現代の中心地である岡山、倉敷市街は、かつては「吉備の穴海」と言われる海だった。倉敷に児島や玉島という地があるが、かつて海に浮かぶ島であった証であり、古代の中心地は吉備路であったことがよくわかる。‟桃太郎伝説”にもゆかりのある吉備路の総社市を訪ねた。


吉備路をドライブしていると、目に入って来るのが五重塔である。
のどかな原風景が広がるなかに現れ、悠久の歴史に想いをかられる。天平13年(741)、聖武天皇の勅願により建立された備中国分寺にある。
奈良時代のものは焼失したが、江戸期の弘化年間(1844~1847)に再建された国の重要文化財だ。
国府も置かれ、国司が中心となり祭政一致の政治が行われていた。
平安時代になると、国司が毎年国中の神社を巡拝するのが困難になり、国府近くに社を建てて國の神々を合祀した。備中に限らずに全国で行われ、その社を「総社」と呼んだ。
かつて日本の国中に総社があったなかで、備中では「総社宮」とし今もその名が残り、市名・総社市の由来となった。それは、同宮を中心に門前町が形成され、政治、経済、文化の中心地として栄えてきたからだ。古代、吉備路の中心地であったことから頷ける。



同宮は、「三島式庭園」の大きな神池と長い回廊があり、厳かな本殿がある。境内には松の古木が多く、また石碑も多くあり、古社の趣がある。


また、同宮隣にある「まちかど郷土館」では、総社の歴史や伝統産業を知ることができる。
日本の原風景を残し整備されている総社市の吉備路で、古代の歴史、文化の風を感じた。
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