経営の神様 松下幸之助 ~松下幸之助歴史館~(1)

感謝・感動・歓喜!

日本に経営者は多いが〝経営の神様〟と称される人物はそうはいない。

その一人が松下幸之助である。さらに経営にとどまらない顔を持つ。

昭和三十九年(一九六四)、アメリカの有力誌「タイム」に「五つの顔」を持つ人物として紹介された。それは、「最高の産業人」「最高額所得者」「思想家」「雑誌主宰者」「ベストセラーの著者」である。思想家で、雑誌主宰者でベストセラーの著者でもあったのだ。

どんな生涯だったのか、大阪・門真市にあるパナソニック・ミュージーアムを訪ねた。

松下幸之助歴史館 外観
松下幸之助歴史館 入口石碑

ミュージーアムは、パナソニック本社敷地内にあり、「松下幸之助歴史館」と「ものづくりイズム館」がある。そのうち「松下幸之助歴史館」に入館した。入館料は無料である。

明治二十七年(一八九四)、和歌山県海草郡和佐村で生まれた。小学校四年時で中退、九歳で大阪に丁稚奉公に出た。十五歳で電気の仕事に憧れ、大阪電燈に入社した。仕事をしながら夜学にも通う。

そして、二十二歳にして独立し、ソケットの生産、販売を開始する。現代では大学卒業する年で創業をしていることに驚く。

生い立ちは決して恵まれているとは言えないが自立心が旺盛だった。

後年、成功した理由として、「学歴がなかった」「体が弱かった」「家が貧しかった」ことを挙げている。貧しいから必死に働き、学歴がなかったから商売の中で出会う人、出来事から必死に学び、体が弱かったから人に任せることができたという。

私だったら言い訳にしてしまうことばかりだ。

そして、大正七年(一九一八)、松下電気器具製作所を設立した。

その後は配線器具、電池式ランプで発展、角型ランプ開発とともに「ナショナルランプ」と名づけ大ヒットし、品質の良い「ナショナル」ブランドが浸透していった。

それから、アイロン、ラジオの開発を始める。戦後、経済成長とともにテレビ、冷蔵庫などの家電も開発し一大電器産業として世界的な発展を遂げた。

~(2)につづく~

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