平櫛田中美術館                        ~いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる~

感謝・感動・歓喜!

岡倉天心像といえば「五浦釣人」を思い浮かべる。

茨城の五浦美術館やJR福山駅で見たことがある。

支那帽をかぶり、着物に大きな毛皮をはおり、草鞋を履いて釣竿を背負っている。一見すると奇妙な姿である。日本美術の復興に尽くし、奇才といわれた姿がよく描かれている。

偉人の像は数々あるが、これほどユニークで印象的な像はない。一度見たら忘れられない。この像の作者は、岡倉天心を師と仰いだ彫刻界の巨匠・平櫛田中だ。

同氏の作品は、テレビ番組で何度か見たことがあり、その都度感動を覚えた。作品を見たいと思い、出身地の岡山県井原市にある「平櫛田中美術館」を訪ねた。

平櫛田中美術館
五浦釣人像

同館入口では金色の「五浦釣人」像が迎えてくれている。令和五年(二〇一八)にリニューアルされた美術館は、素晴らしい作品だけでなくどんな苦労にも負けなかった不屈の生涯、作品への情熱も知ることができる。

明治五年(一八七二)、井原市の田中家で生まれたが、家が貧しく十歳の時、福山市の平櫛家の養子となる。つまり号として名乗った平櫛田中とは、養子になった家と産まれた家が掛け合わされた名である。

平櫛家も貧しく、中学に進学することはできず大阪の商家に奉公に出された。

二十歳の頃、木彫に出会った。商売人が合わず木彫の師に付き志すも病気療養の為、福山に戻った。

しかし、木彫への想いは捨てがたく再び故郷を発つ。奈良で仏像研究をした後、東京に出て高村光雲門下と交わる。

その後、二人の師に出会う。禅師・西山禾山和尚と岡倉天心だ。

禾山和尚に感化され禅の心を学び、それが作品に反映されるようになった。そして、明治の日本美術界の父ともいわれる岡倉天心からは芸術とは何かを教わった。

二人の優れた師の教えを、木彫表現の美に昇華させた。

再現されたアトリエ
美術館前にある田中苑 鏡獅子像

木彫で評価されても貧しい生活は続いた。岡倉天心から言われた「芸術の表現は理想にある。売れないものをお作りなさい」を守り、自分が志す理想の追求に妥協しなかった。

それが後に花を咲かせる。

苦労の連続で、長男と長女を病気で亡くした。長男は「お父さん私たちの分まで長生きしてたくさんの作品を作って下さい」と言い残して亡くなった。

その言葉通り、百七歳まで木を彫り続けた。長男、長女のエネルギーも木彫に注がれたようにも感じる。

代表作の「鏡獅子」は、二十二年の歳月をかけて完成した。その製作の様子の映像を見ることが出来る。

展示されているどの作品を見てもうっとりと感動する。いつまでも眺めていたいと思う。

木彫だけでなく書も凄い。

九十八歳の時の「いまやらねばいつできる わしがやなればたれがやる」の力強い言葉と書に感動した。

この言葉を信条にどんな困難にも負けずに生涯作品を作り続けた。その情熱に感動し、私も田中先生のように情熱的に人生を創作したいと思った。

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