ふくやま文化ゾーン(1) ~福山城博物館~

感謝・感動・歓喜!

JR福山駅の新幹線ホームから福山城が見える。

駅北口を降りると福山城博物館の入口だ。これほど駅に近い城はない。

駅はもともと城の敷地であったから、新幹線で通過だけでも城内に入ったようなものだ。

ふくやま文化ゾーン

同館がある一帯は、”ふくやま文化ゾーン”といわれる。

福山城鎮守の三蔵稲荷神社や備後護国神社のほか、歴史博物館、美術館、書道美術館、文学館などが集中している。文化施設が点在していて不便な都市もあるが、駅のそばにあり、徒歩ですべてを回ることができ便利だ。なかでも、そのシンボルの同館をまず見学した。 

福山城 入口
福山城

江戸幕府成立後、初代藩主・水野勝成が10万石を得て入封した。

3年の歳月をかけ、元和8年(1622)に城が完成、この地を福山と名付けた。新たな築城は禁止されていたが、西国鎮衛の役目から例外的に認められた。

当時、湿地帯であったこの地の埋め立て、治水工事を行い町の都市整備もした。水野勝成は、徳川家康の従兄弟にあたるが、信長、秀吉などの家臣にもなったことがある。

最終的に、家康の家臣として数々の戦功を挙げた。町作りとともに、綿花や畳など産業を奨励し都市の基礎を気づいた為、〝福山開祖〟として今も慕われている。この当時としては珍しい88歳まで生きたことに驚く。

福山城内 ‟福山開祖” 水野勝成像
築城400年を記念に復元された福山城北側鉄板張り

同藩は、水野家五代、松平家一代の後、阿部家が10代続いた。

江戸末期には、藩主・阿部正弘が25歳の若さで老中となった。嘉永6年(1853)、黒船来航があるなど諸外国から開国を迫られたなか、安政の改革を断行して、開国に踏み切った。

そして、慣習や身分に捉われない人材の登用をし、外様大名も重用し雄藩協調を図った。その為、幕府弱体化を招いたとされるが、未曽有の危機のなか、苦渋の決断が後に日本を守ったといえる。

老中在位のまま、安政4年(1857)に39歳の若さで亡くなった。

令和4年(2022)、築城400年を記念してリニューアルされた同館でこの二人の偉業を知る事ができる。館内は、水野勝成にあやかった一番槍レースや火縄銃など戦国武将になりきれる体験型コンテンツもあり楽しめる。

また天守最上階からは、福山市内を一望することができる。

〝福山開祖〟の礎があったからこそ、今の福山の発展があることを想って眺めた。

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