日本再発見! 今も息づく旧東國敬神道場の精神

コラム

北関東に、来た~感動!(笑)の第二弾。
妙義山に続いて、群馬県富岡市を訪れた。
富岡市といえば、世界遺産の富岡製糸場があり、昔から製糸、絹が盛んです。
他にも、感謝、感動、歓喜!の素晴らしい所がありました!

【一之宮貫前神社】(いちのみやぬきさきじんじゃ)
せっかくなので、上野國(こうずけのくに)の一の宮に参拝。
それが富岡市にあった。
創建は安閑天皇元年(西暦531年)と伝えられている。
御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)と姫大神(ひめおおかみ)。
社殿は、徳川家光公の命によって寛永十二年(西暦1635年)に造営され、総漆塗で極彩色の荘厳華麗なもので、本殿・拝殿・楼門は国の重要文化財に指定されている。
珍しいことに、この神社は参道を階段で登って、鳥居、総門をくぐってから、参道を下った先に社殿が配置されている!?
日本三大下り宮の一つだそうです。
下り宮ははじめてでした~!ビックリ~

総門をくぐって参道を下った先にある荘厳な社殿

【旧東国敬神道場】(富岡市社会教育館)
一之宮貫前神社の隣に、趣のある平屋の純和風建築があった。
何だろうと思って敷地に入っていくと、日本の伝統的建築を随所に取り入れた和風建築で、庭もとても素晴らしい。門の看板には、富岡市社会教育館と書いてある。
一体、誰が何の目的でこの建物を建てたのだろうか?

昭和初期に流行った門脇の扉つきの門
風格のある玄関

建物に入ると、親切なスタッフの方がこの建物について説明してくれた。
この建物は、もともと「東國敬神道場」というものだった。
昭和9年11月、高崎市で陸軍特別大演習の巡察で昭和天皇が群馬県に行幸された。その際に、一之宮貫前神社も参拝された。
群馬県では昭和天皇行幸への感謝として、敬神崇祖の精神修養施設を作ろうということになり、全額群馬県民の寄附によって、昭和11年3月に「東國敬神道場」が竣工された。
敷地面積は、3,200坪、床面積350坪の平屋の近代和風建築で、木曽・台湾の檜などを使い、随所に装飾や細工が施されている。
設計は近代和風建築の大家である大江國風建築塾が担当し、600人もの大工が建築に携わったという。
なんと、昭和天皇行幸への感謝として、敬神崇祖のための精神修養施設を寄附で作った施設だったとは!!!

見事な欄間
建具も美しい

長い一本道の廊下

研修棟とともに宿泊棟もあった「東國敬神道場」。
戦後は群馬県の施設となり、学校や企業の宿泊研修にも使われていたが、現在は宿泊は廃止され、富岡市社会教育館として、茶道や各種教室に利用されている。
一部耐震補強がされたり、和室が洋間に変えてあるが、ほぼ86年前の状態を残す国の登録有形文化財である。
こんな素晴らしい建物を施設利用できるなんて、すご~い!
「東国敬神道場」という名前ではなくなったが、富岡には、この建物が残っており、敬神崇祖精神が今も残っているのでしょう。
感謝、感動、歓喜!!!

庭から富岡市内を一望できる
書院作りの廊下
瓦を敷き詰めず銅板部?を残す屋根

コメント

タイトルとURLをコピーしました