書は人なり 山岡鐵舟の筆跡(その3)

コラム

おはようございます。いろは君です!
今日から気温が下がるみたいですね。もう半袖はしまってもよさそうですね。

さて、昨日の続き、山岡鐵舟(以下鐵舟)の8つの筆跡特徴からみえる人物像について、今日はご説明をさせて頂きます。

と、その前にクイズです。
画像は、山岡鐵舟の字ですが、何と書いてあるでしょうか?

ヒントは右から読みます。
あっ、答えが画像のなかに赤字で書いてありました(^^ゞ
これは、『鐵舟」という地酒に貼ってあるラベルです。
読めないことを想定して、赤字で「精神満腹」と書いてあります(笑)
ちなみに、交友のあった清水次郎長に送った書で、次郎長はたいそう喜んだそうで、清水の梅陰禅寺にこの書の大額が飾られています。

日本酒 鐵舟

それでは、お待たせしました。「戊辰解難録」の筆跡からわかる人物像をご説明いたします。 んっ、待ってない?(笑)

戊辰解難録 最終頁

『強い自信家で度胸抜群で、剣術では間合いを詰めるタイプであったでしょう。物事を最後まで手を抜かず、あきらめない意志の強さがあります。そして、自分の意見を強く持っていますが、反面自分の意見を曲げない意地っ張りで頑固な面もあったことでしょう。しかし、包容力があり器が大きく、他人には寛容だったことでしょう。字形は、弘法大師・空海のように安定感があり胆の据わった方であったでしょう。義理人情に厚く、思いやりに溢れる方であったでしょうが、反面お金などには無頓着でルーズな面もあったでしょう。そして、高い意欲と行動力があり、平凡な結果では満足せずに、よりよい結果を求める性質が顕れています。』

筆跡からは、このような人物像が浮かびあがってきましたが、これはまさに今でも語り継がれる人柄そのものでした。
山岡鐵舟の伝わっている人物像そのまますぎて、筆跡からみた人物像にあてはめたのだろう、と思うくらいにピッタリです(^^ゞ(笑)

徳川慶喜が東征軍に恭順の意を伝える使者を何度か送ったものの、話しが通じずに、江戸まで押し寄せて、先鋒隊は川崎まで来ていたというもはやこれまでという時、徳川慶喜の最後の使者として、山岡鐵舟が選ばれた。

そして、駿府にいた東征軍の総参謀・西郷隆盛に談判し、見事、江戸城無血開城と徳川将軍家の存続を成さしめたのであった。

筆跡をみて、鐵舟がこの大偉業を成し遂げたのが、理解できる。
『どんなことがあっても、慶喜公の恭順の意を伝え、江戸を戦火にせず、徳川家の安泰を図ること』そう肚を決めて、東征軍の大軍のなかを、乗り込み、倒幕へと進軍する西郷隆盛を翻意させることのできる胆力が感じられる。

筆跡は、この大偉業を成し遂げたことを充分に納得させるもので、感動しました!

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