新美南吉記念館(1)~代表作『ごんぎつね』に重なる生涯~

感謝・感動・歓喜!

私が最も好きな作家は、新美南吉である。

小学校四年生の全教科書に掲載されている「ごんぎつね」を書いた児童文学作家だ。結核のため、二十九歳の若さで亡くなるまで、数多くの童話作品を残した。

旧制半田中学校在学時から、童話を書き始め、仲間と同人誌「オリオン」を出すなど、若い頃から文学を志した。中学校卒業後、母校の小学校代用教員として勤めながら、雑誌『赤い鳥』などに掲載され、若い頃から才能を評価された。

その後、東京外国語学校に入学し、北原白秋に師事した。そして、兄弟子となる巽聖歌や与田準一などと文学の交流を深めた。卒業後も東京に留まるが、喀血して帰郷した。その後は、病弱と貧しさのなか、教員などをしながら創作に励んだ。

現在では、「北の宮沢賢治、南の新美南吉」と評され、児童文学では有名作家である。

天皇皇后両陛下行幸記念碑
記念館入口
館内の様子

しかし、それは亡くなった後に、兄弟子・巽聖歌が全集をまとめ発売して以後のことである。弟に宛てた遺書には、借金の整理を依頼している。現在、故郷の半田市に「新美南吉記念館」があり、日本全国で愛されていることを、天国にいる南吉はどのように思っているだろうか?平成二十二年には、天皇皇后(現上皇上皇后)両陛下がこの記念館をご来訪されている。上皇后美智子さまは、南吉童話の愛好家でもあるからだ。

南吉の代表作である「ごんぎつね」は、いたずら好きのきつねが、兵十という人間に、いたずらのお詫びで、栗や松茸を届け続ける話である。きつねの贈り物と気がつかぬ兵十は、ある日、贈り物を届けに来たきつねを猟銃で打って殺してしまう。亡骸とともに、飛び散った栗や松竹をみて、はじめて、きつねが届けてくれたことを知る。

南吉が十八歳の時に書いた「ごんぎつね」のように、亡くなった後、南吉童話は世の中で評価された。それでも、天国の南吉はとても喜んでいるだろう。

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