最近、旅館をめっきりみなくなった。どこへいっても全国チェーンのビジネスホテルがある。
それでも、まだ旅館が残っている地域がある。栃木県の真岡には、旅館が何軒か残っている。
私は旅館が好きなので、栃木に行くと都会の宇都宮でなく、真岡に泊まることが多い。宇都宮には旅館がもうないからだ。真岡に泊まるのは旅館があるからだけではない。のどかで美しい街の風土も好きだからだ。


街の中心地は、真岡駅から門前エリアにかけてである。個性的な店が並び、大正から昭和にかけて、料亭や芸者置屋があった花街の面影が残っている。そこに、「久保記念観光文化交流館」がある。観光物産館とともに久保記念館があり、美術評論家の久保貞次郎の功績が紹介されている。
久保貞次郎氏は、明治42年(1909)生まれで、戦後の美術界に大きく貢献した人物である。
「創造美育」という児童美術教育の発展に努めた。また、瑛久、池田満寿夫などの版画作家のパトロンとして支援した。真岡の久保家に婿入りし、東京と真岡を拠点に活動した。記念館には書簡、写真、愛用品などの資料が数多く展示されている。
真岡には久保貞次郎氏の精神は今も引き継がれている。街を歩いていると、「まちかど美術館」などの小さな私の美術館が何軒かあり、美術活動が盛んだと感じさせる。
同記念館の斜め向い側には、「真岡木綿会館」がある。「真岡木綿」は、江戸時代には年間38万反を生産し、隆盛を極めた。明治以降は、開国による輸入糸流入などで生産が減少した。戦後はほとんど途絶えていたが、昭和61年(1986)に真岡商工会議所が中心となって復興した。
同会館では、糸紬ぎなどの生産工程を見学でき、機織りや染色体験ができる。フワフワの綿花から糸が紡がれ、木綿反物になる様子には驚いた。
敷地内には、今でも唯一、往時の面影を残す建物がある。岡部記念館「金鈴荘」だ。



明治中期に、岡部呉服店二代目の岡部久四郎師が、接待や呉服の展示のために建てた別荘ある。建築材料、調度品、書画骨董品、回遊式の日本庭園など、どれもが美に溢れていて圧巻である。手間暇をかけ、当時の最高級の素材と職人技で作られたもので、「真岡木綿」の隆盛ぶりがうかがえる。
その他に、創業二百有余年の酒蔵「辻善兵衛商店」があるなど、風情があり、のどかで美しい街である。真岡は、ゆったりと時がながれている。
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