音について

古今東西、世界共通で、声を発して祝詞などを唱えること、楽器などで音を奏でることが、神々という「目に見えない存在」と通じる手段になっている。

それは、日本のお祭り・神事をみても、世界中のお祭りや礼拝をみても明らかである。こうした神事だけでなく、身近な音についても考えてみたいと思う。

私は機械の仕事をしている。機械が正常な運転をしている時は、スムーズな音がする。聞いていて、嫌な感じになることがない。機械の動作で大きな音や異音がする時は、機械に負荷がかかっている証しである。それは、機械の故障につながりやすく、作業する人も快適ではない。

機械のメンテナンスは、まず目で見て判断するが、音を聞いて判断することも多い。目で見えない箇所は、「打音検査」などをして、音の様子で判断する。

機械に詳しい人は、実際に機械を見ていなくても、音を聞いただけで運転状態がわかり、故障の原因も特定することができる。

音が、目に見えない機械という存在と通じる手段になっている。

機械だけでなく道具でも同じことが言える。よい職人ほど、小気味良いテンポで、軽快な音を立てて刃物を使う。庭師の植木挟みのカチカチ、料理人の包丁のトントンなど、音を聞いただけで、その職人の腕前がわかるという。

音が、見えない職人の技というものと通じる手段になっている。

人間にとって、最も身近な音は声である。

声は、コミュニケーションの手段としてだけでなく、健やかな心と身体を保つ上でも、重要である。

会話が少ない人ほど、認知症になると言われている。それは、声を出すことで、生命力が活性化されるからだ。

男性よりも女性の方がよく会話をするので、女性の方が認知症にならないと言われている。女性の方が、元気で長生きなのも納得できる(笑)

スポーツを見ていても、声が大きいチームほど活発である。

ただ、声の出し方にもいろいろあるようである。「神事」としての声は、やみくもに出せばいいというものではない。心身を整え、身を清めて唱える必要がある。

声、音は、神々という存在だけに限らず、目に見えないもの、また見えているものの性質を伝えている。ということは、日常、自分の発する声や、所作から出る音に、「見えない自分」というものが顕れると言える。

であるなら、発する声、所作に気を配り、心地よい音を立てるようにしていきたい。

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