『湊川神社』~皇室を守った人物を祀る(その2)~

感謝・感動・歓喜!

和氣神社に参拝した帰路、「湊川神社」を参拝した。

同社は、和氣清麻呂公と同様に皇居に銅像がある楠木正成(以下大楠公)を祀っている。

大楠公は、後醍醐天皇に忠義を尽くした人物だ。戦前、国家の英雄として評価され、教科書に大きく取り上げられた。しかし、戦意高揚に利用されたとされ、戦後は姿を消した。

一体どんな人物だったのか?

参道の楠
大楠公御一代記
社殿

大楠公は、永仁2年(1294)に河内国に生まれた。

元弘元年(1331)、同天皇の命を受け、鎌倉幕府に兵を挙げ倒幕へと導いた。同天皇の「建武の中興」に大きな功績を上げた。

しかし、その政策に不満を持った足利尊氏が背き、兵を挙げた。大楠公は、一旦敵を京へ引き入れて戦うことを主張したが、公家らの反対に遭った。激戦を繰り広げるうち次第に劣勢となった。

終焉の地、湊川の戦いでは敵数万に対し味方七百騎で応戦、遂に「七生滅賊」を誓い殉節を遂げた。

有名な「桜井の別れ」で別れた息子・楠木正行(小楠公)もまた四条畷の戦いで殉死している。

その後、墓所となり地元の人々が守ってきた。元禄5年(1692)、水戸光圀公がその忠義を偲び、墓碑に自ら筆を執り「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立した。

これにより大楠公の偉業が広まった。幕末期、吉田松陰らの志士が数多く墓参し、「尊王報国」の至誠に影響を与えた。

大楠公御墓所
嗚呼忠臣楠子之墓
明治天皇御製 湊川懐古

明治5年(1872)、明治天皇がその忠義を後世に伝える為「湊川神社」を創建した。

JR神戸駅近くの市街地に佇み、境内には楠木が立ち並んでいる。本殿ほか宝物殿、殉節地、墓所などがある。社紋は「菊水」で、大楠公が後醍醐天皇から菊の紋を下賜されたことに由来する。

拝殿天井画は、棟方志功などの著名な画家による奉納に彩られている。どれほど崇敬されているかがわかる。

同社では和氣清麻呂公と同じように天皇に忠義を尽くした大楠公に感動した!

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