紀州田辺の三偉人

感謝・感動・歓喜!

紀州田辺は、世界遺産・熊野古道巡礼地の入口にある。「口熊野」とも呼ばれている。古くから紀南地方の中心地である。人口約六万人の小さな町だが傑出した三偉人がいる。

JR田辺駅前 弁慶像
闘鶏神社
湛増・・弁慶の銅像

JR田辺駅を出ると、薙刀を持った武蔵坊弁慶が仁王立ちしている。父は熊野別当(熊野三山を統括する僧官)・湛増とされ、この地で生まれたと伝わっている。出生の地、産湯井戸が残る。市街地にある「闘鶏神社」に湛増と弁慶の銅像がある。同社は、熊野三山の別宮的存在で熊野新権現ともいう。源平合戦の時、双方より熊野水軍の援軍を要請された湛増は、紅白七羽の鶏を闘わせて神意を確かめた。そして、七度とも勝利した白の源氏に加勢することにした。義経に仕えていた弁慶は熊野水軍を引き連れ源氏の勝利に貢献した。弁慶の実態は不明な部分が多いが、田辺を訪ねると故郷に違いないと感じる。

南方熊楠顕彰館
書斎

 二人目は、世界的博物学者・南方熊楠だ。宗教学、民俗学、植物学、菌類などの先駆的研究者として知られる。名前の「熊」は熊野、「楠」は熊野神を祀る藤白神社のご神木から名付けられた。慶応三年(一八六七)、和歌山市で生まれた。幼い頃から読書と書写に明け暮れ、超人的記憶力を持っていた。東京大学予備門を中退、アメリカやイギリスで研究した後、三十七歳で田辺に居を構えた。妻は「闘鶏神社」宮司の娘である。この地の自然を愛し、亡くなるまでの半生を過ごした。市内には『南方熊楠顕彰館』があり、隣地に邸宅、庭が保存されていて拝観できる。当時のまま残り、熊楠の息吹が伝わってくる。  

田辺市立武道館
武道館内 植芝盛平記念館

 三人目は、合氣道開祖・植芝盛平翁だ。明治十六年(一八八三)、田辺で生まれた。翁は熊野本宮大社の申し子とも言われる。合氣道の神髄は和合の精神であり、いたずらに強弱を競わず互いに切磋琢磨し心身を磨くことを目的としている。そのため勝敗がない。今や世界各国で愛好されている。田辺湾を望む田辺市立武道館には植芝盛平記念館があり、翁の偉業と合氣道を知ることができる。

 三偉人ともに熊野にゆかりがあるのだ。誰もが知る有名な偉人ではないが、唯一無二、他が真似できないことを成し遂げている。それは、紀州田辺の熊野信仰や風土により生まれたのであろうと、実感した。

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