神戸の由来

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神戸は港があり、異国情緒漂うお洒落な街だ。

三宮の繁華街、元町の中華街、北野の異人館街など見所が多い。

誰もが思う神戸のイメージは、慶応3年(1868)、兵庫開港(神戸開港)以降に出来上がっていったものだ。

三宮の繁華街
元町の中華街
神戸異人館街

そもそも神戸という地名は生田神社に由来する。同社の由緒は神功皇后に関わりがある。西暦201年、皇后が三韓(新羅・百済・任那)平定から大和への帰路、敏馬の浦の沖合で船が進まなくなった。

そのとき神占を行ったところ、稚日女尊が現れ、「私は活田長峡国に居りたい」と申されたので、お祀りした。

三宮 生田宮鳥居
生田神社

大同8年(806)、朝廷より同社をお守り、お世話をする家として、神戸44戸を賜った。それから神戸と呼ばれるようになった。それは「生田の神」に仕える家があるという意味だ。

皇后ご外征以来、毎年三韓より使節が来訪した。その際、摂津國で採れた稲を使い、同社で醸造したお神酒を振舞い慰労の宴を催した。これが日本一の酒の産地「灘の酒造」の起源と言われている。

神戸一の繁華街三宮に鎮座しているが、境内には「生田の森」があり緑が多い。「三宮神社」も近くにある。神戸には三宮どころか八宮まである。そのすべてが皇后と関わりがあるのだ。

生田神社ご創建後、皇后はご縁のある神々を祀る八つの神社を巡拝された。その参拝順位を社名に冠したと伝えられている。八宮とも西暦201年にはあったのだから相当な古社である。

港神戸守護神 厄除八社御案内
二宮神社
三宮神社

皇后は、九州・熊襲征伐の際に亡くなられた仲哀天皇の后である。同天皇の後を継ぎ、身ごもったお身体で熊襲を無血平定した。続いて三韓に渡り無血平定された。

その帰路、九州で品陀和氣命(後の応神天皇)をお生みになられた。そして大和への帰路、ご神託を受けた。なんとご神託により生田以外に、摂津國に長田、廣田、住吉の社を創建されている。

そして応神天皇が即位された後、百歳の長寿を全うされた。この御事績、安産・健康長寿の故事にあやかり、江戸時代から、節分に八宮を巡拝する「厄除け八社巡拝」が盛んとなった。

皇后の御事績があった為、応神天皇の時代に朝鮮より技術集団が渡来し、日本の技術革新、文化振興が図られた。皇后は、平和外交と国家発展の礎でもある。

そのご神徳に感謝し、八社巡拝をしてそのご利益を授かりたい。

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