関門海峡(その2) ~赤間神宮~

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源平合戦の地、関門海峡には「壇ノ浦の戦い」古戦場址以外にも、ゆかりの地がいくつかある。

そのなかの一つ、赤間神宮に参拝した。

水天門
水天門 正面から
社殿

同神宮は、歴代天皇のなかで最も若く、そして唯一戦いによって崩御した安徳天皇をお祀りしている。長らく御陵の地に阿弥陀寺と御影堂があるのみだった。

明治維新後、阿弥陀寺を廃し、御影堂を天皇社と改められた。明治8年には、官幣中社となり社号は赤間宮と定められ、社殿造営がされた。

明治15年、官幣大社となり赤間神宮となった。大東亜戦争の戦災で神殿以下悉く焼失したが、戦後、壮麗な社殿が再建された。関門海峡を眼下に眺める竜宮造りの水天門は壮麗にして雄大である。鮮やかな朱が海と対比して映える。

社殿は水が張られ海に浮かび、まるで龍宮の神殿だ。御入水の際、二位尼に「海の中にも都はある」と伝え抱かれた通り、龍宮に祀られているのだ。

赤間神宮 社殿
耳なし芳一 お堂

宝物殿には、安徳天皇御尊像のほか、平家一門の画像、源平合戦絵図がある。その他、いくつかの琵琶が展示されている。琵琶法師の琵琶である。

もともとの阿弥陀寺は、安徳天皇の御陵墓とともに、平家一門の墓もある。かの有名な「耳なし芳一」もこの寺の琵琶法師であった。

目の見えない芳一は、夜毎平家の亡霊に壇ノ浦秘曲を弾奏していた。それを心配した和尚が、芳一の身体中に般若心経を書き亡霊を退けようとした。しかし、耳に書かなかった為、耳を引きちぎられたという話だ。平家の壮絶な最期の地にいるとその逸話にも頷ける。

安徳天皇は、水天宮大神とも称せられ水の神様として全国の水天宮でもお祀りされている。同神宮の龍宮で、日本の要所、関門門海峡を見守っている。

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