遠州七不思議だけじゃない 御前崎・池宮神社

感謝・感動・歓喜!

御前崎にある池宮神社は神秘的である。

原生林に三方を囲まれ、不思議な伝説のある桜ヶ池のほとりにある。

ご祭神は瀬織津比咩命である。大祓祝詞に現れる祓戸の大神で、諸々の罪穢れを払い開運厄除のご神徳がある。

相殿には、事代主命と建御名方命を祀る。由来は、敏達天皇一三年六月(五八四)に、瀬織津比咩命が現れ社殿造営がなされたことによる。

国道150号から見える赤い大鳥居
鳥居
おひつ納め

平安末期の嘉応元年(一一六九)、比叡山の名僧、皇円阿闍梨が、末法思想に悩む人々を救済する為、五十六億七千万年後の弥勒菩薩の出現を待つことを切願された。

その地を桜ヶ池に定め、身を龍蛇と化しに入定された。数年後、その高弟の法然上人(浄土宗開祖)が、師の霊を訪ねた。

お櫃に赤飯をつめ池心に沈めると、龍神となった師の霊が現れたという。

お櫃納めは、その弟子の親鸞上人(浄土真宗開祖)、熊谷直実(蓮生坊)に継承された。

以来、八百年以上続いていることに驚く。毎年、秋の彼岸の中日には、全国の崇敬者からお櫃が納められる。赤飯は古来の方法で炊かれ、心身を清めた数十人の若者が池の中心にお櫃を納める。

この特殊神事・納櫃祭は奇祭として知られている。現代でも青年男子が禊をして、褌一丁で神事に奉仕している。龍神伝説とお櫃納めは遠州七不思議の一つに数えられている。

社殿
社殿の扁額のパネル
山岡鐵舟揮毫 桜山館

社殿は御前崎市指定文化財で、拝殿扁額は徳川慶喜揮毫によるものだ。

社務所内にある資料館で由来を知ることができる。慶喜は、慶応四年(一八六八)、五月三十日に参拝した。徳川三百年の安泰に感謝の祈りを捧げ、桜ヶ池の水で墨を摺り、「池宮神社」と揮毫し奉納した。

父親が同社宮司家の出である幕臣・関口隆吉が、慶喜を水戸から安全な駿府に移すことを実現している。関口隆吉の資料や自筆手紙の他、勝海舟など幕臣の書が展示されている。

山岡鐵舟は、当時の宮司邸「桜山館」と揮毫し、慶喜以下一行が訪れたであろうことを物語っている。七月二十三日に水戸から静岡に入り宝台院で謹慎した慶喜が、その一ヶ月半前に訪ねていたことに驚く。自身と幕臣の静岡移住の下見をしに来ていたのではないか。

その他、本居宣長、賀茂真淵らの和歌、書画など貴重な資料が展示されている。遠州七不思議で名高いが、慶喜と幕臣が訪れ、桜ヶ池で何を語っていたかにも興味を惹かれた。

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