水郷・柳川 ~川下りのゆったりとした時が流れる~

感謝・感動・歓喜!

福岡県柳川市は掘割が街中を巡り、風情がある。

観光川下りが運航され、編笠をかぶり法被姿の舟頭が、どんこ舟を竿一つでゆっくりと進めていく。二百艘あるといわれる舟が、掘を行き交い賑やかだ。

コロナ禍では川下りは中止され、街は静まりかえった。

コロナが明け、また観光客が戻ってきた。川下りの乗降場に人が列を作り、どんこ舟が行き交う。街に小気味よい船頭の唄が響き、水郷・柳川に活気が戻った。掘から季節の風景を楽しむ。これが柳川の風物詩だ。

柳川界隈
どんこ舟

掘割の歴史は古く弥生時代に始まったといわれる。有明海に面した柳川一帯はもともと海だった。

有明海の激しい干満の差によってできた干潟を、水はけするために掘割をつくり、掘り上げた土を盛り陸化することで生活できるようになった。埋め立てた土地は井戸を掘ると海水が出るため、掘割に雨水を貯めることで飲料水、生活用水、農業用水として利用してきた。

しかし、水質悪化から1970年代には掘割を埋め立てる計画もあった。市民ぐるみの浄化作戦を展開し、掘割は再生した。川下りの歴史は意外に浅く、昭和30年からという。

今では、〝柳川といえば川下り〟と言われるほどになった。

平坦で水の勾配がなく水がよどみやすいが、水門などに工夫が凝らされ風情を保っている。

北原白秋生家
北原白秋生家内
北原白秋記念館

この風情のある柳川で育った詩人がいる。童謡作家、歌人としても活躍した北原白秋だ。

川下りの終着点の近くに、「北原白秋生家・記念館」がある。北原家は代々柳河藩ご用達の海産物問屋で酒造業もしていた。父の代に大火に遭い、家業が傾いたが母屋だけは残り公開されている。白秋のこととともに柳川の歴史、文化も知ることができる。

一九歳まで育った柳川の風土が、白秋の詩心を開花させたとわかる。晩年に発表した柳川を舞台にした写真集「水の構図」で、「水郷柳河こそは我詩歌の母体である」と述べている。11月には、「白秋祭」が盛大に行われている。

御花(柳川藩主立花邸)
御花 大広間
御花 松濤園

「北原白秋生家・記念館」の近くに、「御花」(柳川藩主立花邸御花)がある。

五代藩主・立花貞俶が建てた別邸で、「立花氏庭園」として国の名勝に指定されている。百畳の大広間から松濤園がみえる。池の周囲に約280本の黒松、千五百個の庭石が配された見事な庭園だ。

その他に、西洋館や立花家史料館がある。代々藩主を務めた旧大名家で伯爵家の建築物、庭園、美術工芸品を鑑賞できる。旧大名家の史料、施設としてこれほどまとまっているのは珍しいのではないか。

有明海に面した柳川は、食の宝庫でもある。海苔や魚介類の幸に恵まれている。「鰻の蒸籠蒸し」が名物料理で、掘割を歩いていると鰻屋ばかりで、それ以外の店を探す方が難しい。掘割の川下りのように、ゆったりとした時間が流れている街だ。

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